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第1回すごろく放浪旅その2


【その1から続く】

【後閑】
尊師が適当に歩いて(?)到達した神社のような所で我々は最初のクエストに遭遇。
大香炉があったので、こりゃ線香たててくしか無いなってことで
線香をたてることにしたんだけど・・・
IMG_9789.jpg
『新聞紙と杉の葉を使って香炉の中で火をつけて、その火で線香を立ててください』
って書いてあったんだけど、都会っ子の俺らは全くつけ方が分からずwww
マッチをどこに当てれば火がつくのかも分からない。
その上、山間部なので強い風が吹いていて、マッチの火がすぐ消える。
結局「新聞紙」の間に「杉っ葉(すぎっぱ)」を5,6枚置いて火箸で刺して点火
それでも10秒も燃えないんだけど・・・
ってか、火箸の使い方、これ良いのかな・・・

そういえば、関係ないけど、気仙沼に住んでた友人によれば
松ぼっくりは信じられないくらい良く燃えるらしい。だが、特有の匂いがするんだとか。

なんとか線香をあげた我々は、おばあさんに話しかけられる。
そこでこの「神社のようなところ」の詳細を知る。
ここは『茂左衛門地蔵尊』という茂左衛門さまを祭った地蔵尊なのだという。
茂左衛門さまとは誰なのか。
wikipediaにも記事があるのだが、どうやら一部間違っている模様。
書き換えようかとも思ったが、検証可能性に欠ける(笑)ので手を加えないことにした。
ってか、範囲外だから自分でも検証できねえってのもある。
ある程度調べたので以下結果。戦国オタの楽しさが分かった気がする。つか、改名してる人多すぎワロタ。
なお、Wikipediaを参考にしたところがあることを先に書いておく。



時はおよそ300年前、沼田領は真田信利(=信直)によって統治されていた。
彼はみんな大好き真田幸村(=信繁)の兄弟である信幸(=信之)が初代領主を務める
沼田領の5代目領主である。沼田藩ではなく松代藩に属す沼田領である。
沼田領についてマジメに書くとたぶん長くなるのだが、ちょっと書くと
小田原征伐後、沼田領2万7,000石は真田昌幸に返還されるが
昌幸は信濃国上田城を居城として、地理的に離れた沼田領は嫡男の信之に任せる。
その後、そこそこ順調に松代藩沼田領は運営されていくのだが、5代目領主を決めるとなったとき
信利(=信直)と2歳の信房(=幸道)の間で後継者争いが勃発。
結局、信房が真田宗家の家督を継ぐことになった。この時同時に、沼田藩として独立する。
信房に藩主の座を取られたからなのか、藩主じゃなくても頑張るぜなのか分からないが
沼田領だった時の上部組織である松代藩に対抗心を燃やす。
沼田城を修築して五層の大天守閣を立て、江戸の藩邸も松代藩邸に引けをとらぬ豪奢な造りに改装し、
華美放漫の政治をした為に藩の財政は窮乏。
その結果、表高3万石(後の政府の調査によれば実高6万石程度)のところに
約5倍の14万4213石2斗2升4合という税金を課し、滞納者は残酷な刑罰に処した。

この惨状に立ち向かったのが、中流の百姓であった茂左衛門さまなのだという。
正確な名前は杉木 茂左衛門という。
まず1681年、沼田領77村の農民のために直訴を決意。前橋藩の大老酒井忠清を訪ねるが門前払いにあう。
そこで諦めず、彼は文字を学び(当時の農民は読み書きできない)、知恵をめぐらし
輪王寺の紋箱(菊の紋章が入っている)に入れた訴状をわざと茶屋に置き忘れ、茶屋の主人に届けさせた。
時の将軍徳川綱吉は訴状を受け取り、罪状が明確なので沼田藩藩主真田信利は改易(≒クビ)となり
沼田城は破却となった。
茂左衛門は本望をとげたのを見届け、ひそかに郷里に帰り妻に別れを告げ、自主を決意して江戸に向かうところ
小袖坂(雲取山にある(?))で幕吏に捕らえられ江戸送りとなり取調べの上、
天和2年(1682年)11月5日、月夜野竹之下河原にて磔の刑に処せられた。

その後、その刑場跡には地蔵尊が建てられ、供養されてきたが
大正11年、河原にあると水害などで流されることがあったため、現在の場所に移された。

以上、参考はおばあちゃんにもらった『茂左衛門地蔵尊由来』、Wikipedia、おばあちゃんの話



おばあちゃんの話を聞いてると、大分ギリギリになってしまった。
そういえば、書き忘れたが、この地蔵尊からは上越線と信越本線上越新幹線の両方が見える。
なぜ信越本線だと思い込んだか。碓氷第三橋梁から見える新線の橋と似ていたためである。
IMG_9796.jpg
写真は信越本線の方。
急いで駅に戻り乗車。
駅でこんなものを見つけたんだけど、読めないっしょwww
IMG_9799.jpg
Wikipediaによれば(以下引用)

○新潟の「潟」の字の表記について
江戸時代から、地元を中心に「新(さんずい+写)」という略字(方言字)が使われていた。
1981年(昭和56年)に「潟」の字が常用漢字に採用されるまでは、道路標識などでもこの略字が使用されていた。

[ 12:22発 上越線(733M)水上行き(2駅乗車) 12:35着 ]

<7>
・・・なんだけど、見なかったことにして
<8>
というのも7だと岩原スキー場前(「いわっぱら」と読む)だが、今回はスキーしてる時間もないし、
4時間乗り換えの余裕もないので。

【水上】
変な時間に朝飯を食ったせいで「食べてもいいけど別にそこまで腹減ってない」っていう
すごい微妙な感じだった。
適当に歩いてると、SL広場に到達。ボロボロのD51がいた。
写真撮って無いので以下参考。

水上駅SL広場の「D51 745」 :DREAM POCKET 電車工房

そこから利根川遊歩道を通り、駅へ戻る。
途中、尊師が地面にいる謎の虫に気づき騒ぐ。意外とそういうの無理らしい。
これぞ都会っ子ってヤツやな。

で、駅に戻って宿泊地を決める。
尊師が「お金無いお」って言ってたので、尊師と俺で早い者勝ちということに。
結果、当然のように尊師の負け。
新潟の「ホテル日航新潟」当日素泊まり6000円/人に決定。
いや、俺もちょっと高いかなって思ったんだけど、ぽぽたん氏いるしって思った結果。

宿を決めてるうちにちょうどいい時間になったので、ホームへ。
ここで気づかずに高崎行き列車に乗車。
やっぱり普通列車で国境越える人なんていねえよなwwwって思いながらガラガラの車内にいたら
隣に水上行きがいたwww
すぐに乗り換えると、全席埋まってて俺たちは立ち席。
水上より先であんなに乗る人いるのか。意外だった。

[ 13:42発 上越線(1741M)長岡行き(6駅乗車) 14:17着 ]

湯檜曾で降りた人がいたので、2人掛け席に俺とぽぽたん氏座る。尊師はお察し・・・
で、この区間、俺は「清水トンネル」で「10km」だと思ってたんだけど、
それは上り線の方で、下り線は「新清水トンネル」で「13km」なんだね。すっげwww

そして・・・
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

いや、俺もこのルートで北陸に行くの大好きだからもう何回も通ってんだけど(笑)
初めてトンネルを越えると雪国ってのを体験した。
大抵の場合、トンネルの手前も向こうも雪国であるwww
だって、水上って冬季、平気で2mくらい積もるでしょ。

そういえば、トンネルの中でなぜか最後部に乗ってた俺たちだけ検札受けた。
なんでなの?そんな不審者に見えた?
確かに一人、ナチスのコートみたいなの(オーバーコート)着てきたすげえ怪しいのはいたけど(笑)

【その3へ続く】
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  1. 2013/04/07(日) 19:00:45|
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